No.498◆「パリオリンピック2024」が終わりました

 

◇事務局・石川由紀が折々を綴っています。◇ 

 

今朝も早朝ウォーキングと"ラジオ体操会"に参加してきました。6時台だというのに今朝も汗ダラダラ。「水も滴るいい女だよねー」とお互いの元気を褒め合ってきました。これが自分一人で黙々と歩いて、黙って体操をして帰宅する毎朝だったら20年近くも続かなかったと思います。

 

2、3日でもお顔を見ないと、ご旅行かしら?と思い、1週間ぶりだと「お元気でしたのね」と笑顔で挨拶。こんな環境なので、明日はお休みという前日は"欠席届"が出るようになってきています。この面々、住所はおろか、お名前までもよく知らない方々なのです。

 

その面々の今朝の話題は「パリオリンピック2024」の閉会。閉会式放映途中で家を出てきた人ばかりなのですが、話題満載! 「今回の日本はレスリングが大躍進ね」「金メダルは過去最多だって」「槍投げ彼女のもぐもぐタイムが話題よね」「女性のスポーツ参加は美ではない、と言ったクーベルタン男爵*だけど、100年ぶりのパリ大会の参加者は男女同数だって!」「開会式もそうだけど、テレビ画面を見ているとリアルとバーチャルとお見事に繋がっていて、テレビ画面がlive放送とは思えなくて、騙されているような気になった」等々。

 

デジタル社会になって、表現ツールが拡大して楽しみが増えましたが、その過程を学習する機会が無かった年齢層には、"キツネに騙されている"みたいな空間に置かれているように感じているようです(私もリアルとバーチャルの境が…)。

 

技術進歩についていけない世代が居ることは現実です。かと言って「一人も取り残さない」と言って進歩を止めることなく、未来を提示してほしいと思っています。

 

2.24mの身長の人と2mに満たない人が同じコートで競技・勝負したり、歩幅がかなり違いそうな人が走る速さを同じ条件で競ったり、オリンピックは「格差」を克服する「手」を見せてくれる場なのでしょうね。「標準的」を気にして、できないことをいつまでも引きずることなく、自分の得意をのばすことでポジティブになれそうな気がして、明日からの元気が生じたように思いました。その過程には、その技術等の習得と努力と共に、環境だけでなく、ご本人のご意思を持ち続ける長い年月があったことを改めて思いました。才能ばかりではなく「継続は力なり」という語も改めて心に。

 

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*「1896年第1回アテネ大会は、女性の参加は認められていない。創始者のフランス人貴族ピエール・ド・クーベルタンは古代オリンピックの男子選手の肉体美の躍動を理想とし、古代に倣って女性禁制としたのである。4年後の第2回パリ大会で出場が許されたが、テニスとゴルフに限られた。IOCによれば、参加1,066選手のうち、女子選手はわずか12人であったという。

クーベルタンは女性のスポーツ参加をこう決めつけた。『女性がスポーツをしている姿は優雅でも面白くもなく、見るに堪えない。女性の主たる役割は(男性の)勝者に冠を授けることである』と。現在ならば、『女性差別主義者』と誹(そし)られていたに違いない。

『母体の保護』が論じられ、『女性の参加は好奇な目にさらす』と危惧された時代背景があったことを付記しておきたい。特に後者については、いまなおフィギュアスケートや新体操などで卑猥(ひわい)なカメラアングルが問題視される。『美人選手』といった取り上げ方をしてきたスポーツメディアのあり方も改められて然るべきだ。」

(2021年3月17日付け日本財団ジャーナル『【オリ・パラ今昔ものがたり】オリンピックは女性に優しくなかった』より抜粋)