No.494◆都知事選終了―新しい都政はどのようなところへ…

 

◇事務局・石川由紀が折々を綴っています。◇ 

 

東京都知事選が終わりました。小池百合子氏の三期目が決まりました。ホッとしています。その理由は「とりあえず変わりがなくて…」です。選挙戦でどの候補者がどのような政策を提示していらっしゃるのか吟味しないまま、投票日当日昼過ぎ旅から帰宅して駆けつけて、大切な一票に大きな字で書いて投票箱へ。選挙民の義務と権利は行使しました。

 

今まで私は選挙公報には一応目を通していました。今回は捲ってみましたがすぐ閉じました。テレビの演説など聞く気もありませんでした。何故か! ポスターの掲示板のアウトロー的な選挙ジャックばかりが目立っていて、選挙戦に関する報道さえも、選挙の争点や有力候補者たちの動向ではなく、それらをかき消すような体たらくな報道と私には感じられていたからです。

 

今回の選挙戦は、都知事を選出する選挙ではなく、日本の選挙活動がいかに自由で、テレビや舞台のエンタメの如く創造性豊かに展開し、立候補者は衆目を集めて知名度をあげたりして、副業・兼業の宣伝に寄与させるかなど目的外の活動のために、公費を使ったこのイベントに参加しただけなのではと、勘繰りたくなるような行動。傍若無人な振る舞いと見える多くの立候補者が乱立する日本の首都・東京の"都知事選"、憤慨しているのは私だけ? 56人もの立候補者の中で、都政を担う気があった方はいったい何人いらしたのでしょうか。

 

「女性活躍」が期待される中、女性候補対決と言われた時もありましたが、始まってみれば「政策論争」はどこへやら、報道は「週刊○○」の見出しのような内容ばかり。私が望む「家族に頼らない生き方」への施策は見かけませんでした。「子育て支援」は時々耳にしましたが、「補助金が出れば子供を産みますよね!」ではないのではないでしょうか。若年層が金銭的に豊かになれば「少子化対策」は完了ですか? それには都民1400万人の都税がいくら必要なのでしょうか。

 

次回は何処の自治体の、どういう議員の選挙か知りませんが、今回の「東京都知事選」で表面化した"自由過ぎるともいえる選挙活動"にならないことが戦後昭和期の私の願いです。