◇事務局・石川由紀が折々を綴っています。◇
東京に定住を決めてから43年が立ちました。父母・義父母は亡くなり、子たちは巣立っていきました。この間に私の夏休み(8月12~16日)行事はすっかり変わりました。
関西が実家・婚家のわが家庭は、“お盆”といえば8月13~16日。この期間は何をおいても両家へ行き、ご先祖様のお迎え火か送り火に参加していました。この時期の「墓守」は父母・義父母でした。そして私が「墓守」となった今は東京風に7月に「盆行事」を私が主になってしています。
「墓守」が代替わりして、参集する顔ぶれが変わると、足が遠くなりました。この時期を外してフラッと直接お墓へお参りするようになり、「墓守」へは挨拶に立ち寄るだけとなり、戦後の核家族政策が完結したと感じたものでした。
その後、幼いころにお世話になったり、可愛がってもらったりした伯父叔母のお墓参りも、「墓守」の家族やその親族に忖度して足が遠のくようになり、血縁の“絆(きずな)”“柵(しがらみ)”も、戦後・昭和の頃と様変わりしたことを実感します。つまり制度は「大家族」から「核家族」へと変わり、「身内」「身寄り」の概念も変わっているのです。
なのに、社会は保証人として法的に契約した「人」「団体」よりも、“絆”“柵”を上位において「身内」「身寄り」を「身元保証人」として重視しているように思います。人生百年時代と言われている現在、「身内」「身寄り」と言われる方たちは実質「身元保証人」として役割を果たせる働きができるのでしょうか。兄弟姉妹も高齢者では?
当会ができて33年、「身内」「身寄り」と言える人たちと遠距離に生活している方たちがお身内の近くの老人ホーム等へ転居するかどうか悩んでいるというお電話をよく受けるようになりました。住まう自治体が異なれば、高齢者福祉サービスや行きつけの医院・病院も変わります。電気・水道の料金、住民税も変わります。お店も顔なじみも頼る先も。お節介な私は、「身元保証人」を頼むときは、ご兄妹よりもそのお子様(甥・姪)とよく話し合って、契約書を取り交わすほうが両者にとって安心できるのでは、と言っていますが、皆さまはどのようにお考えになりますか。
子どもが居ても生活環境、健康状態、経済事情、死後事務の依頼、遺産の種類と多寡、等々を知らせておく義務があると思います。これらを私は「老活」と呼んでいるのですが…。「お盆」とか、知り合いの訃報をきっかけに少しずつ気持ちの整理を、と思っている今日この頃です。
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