◇事務局・石川由紀が折々を綴っています。◇
私が単身けんの事務局の電話に出るようになって、30年余になります。この間に単身者の社会的位置は大きく変わりました。
女性が25歳を過ぎて未婚なんて、今や"普通"! 「25日のクリスマスケーキ」なんて流行語は昔話の中からも消えています。30歳を超えている未婚の子どもがいることを「世間体が…」という親も見られなくなりました。本人以外の者が旧来の「婚活情報」をいろいろ談議することや「お子さんはまだ?」の質問も、"パワハラ""セクハラ"と訴えられるので、関心があっても無い振りをするようになりました。で、今、旧世代に属する私は…。
現在の「婚活」は本人が自身の意に従いするものとの認識です。スマホやパソコンのマッチングサイトでマッチングサービス・マッチングシステム・マッチングプランナーなどという情報サービスがかつてのお仲人役や世話好きの近親者に代わって、本人の意志を尊重して婚姻の仲介役をしてくれるビジネスになっているようです。就活の如く、希望する条件から選択し面接に至るようですので、「当事者責任」の契約ですから、憲法24条-1※に合致していますから、文句は言いません。
※「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」
でもねぇー、国際的な「ロマンス詐欺」という犯罪や偽称・偽証のアタックが報道されると、身近な人たちの保証付きの「婚活」とは違った"自己責任"という重荷を感じます。
結婚は「家族になること」だと教えられてきた旧世代は「好きだから一緒に暮らす」というのとは少し違う気がして…。かく言う私は、結婚式という儀式の立会人としての「頼まれ仲人」を幾組かしました。いずれも"恋愛結婚"の組で、離婚した組はありません。ほとんどは職場や趣味の会で出会ったカップルでした。「好きだから」だけで無く、本人たちが時間の中でお相手の環境をも知った上での決断だったのではないでしょうか。
報道等の中では、「職場(仕事)で知り合った異性の人を、食事に誘うのは勇気が要るし、リスクだよね」という言葉が聴かれます。「"セクハラ""パワハラ"と返されかねないから」と言い、「他社の人ならまだいいけど…」と。身近な人に声掛けできないなんて、なんと窮屈な社会なのでしょう。職場でのリスクを心配するよりも、「自分の眼力」を信じて、とはなれないのでしょうか。
「人生百年時代」の今、「家族になる」もどこまでと考えるべきなのでしょうね。「少子化」対策の優遇策の前にあるデートや婚姻のハードルも高いように感じる旧世代です。
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