「暑さ寒さも彼岸で」と言われてきましたが、今年は桜の開花宣言も早々と聞かれて、ウキウキとしました。が、「花冷え」という言葉通りに寒さも交じっています。
お彼岸と言えば、その前後は「墓地」の広告が増えますが、私の周りではなぜか今年は少ない感がしています。
私は義母が準備してくれたお墓に親族と一緒に入ることにしていますが、貴方は何処ですか? 緑の森の中、桜の木の下、大海の波間、両親や兄弟姉妹と一緒に「先祖代々」のお墓、親しい人がお参りのしやすいように都市の駅前納骨堂、女性だけで入る合祀墓、愛しいペットちゃんと一緒に、お気に入りの地にある公園墓地、等々、今では希望すればどのような選択肢も自由に選べます。
単身けんが発足した28年前の三大難問の一つが「単身者はお墓が確保
できない」でした。なぜか? それは「墓地」の歴史からでした。
お墓は家制度そのものでした。“家督”を継ぐということは、「お墓」を継承
するということ。継承者のいない“独身者”は自分のお墓を事前に指定できず、
“家督”を継ぐ人に許可を得て入れてもらうか、期間限定の墓地に埋葬しても
らい、後日合祀墓に移してもらうしかありませんでした。
ある会員は母親から「あなたは家のお墓に入れられないよ。お墓に入ると
いうことは、法事とか、後継ぎの弟の負担になるのだから」と言われたそう
です。(でも、親の生活費の負担は均等割り、この会員の遺産の相続は当然す
るつもりなのでは・・・?)
墓地は地方統率の基でした。その昔、同地域の住民は国教である仏教で寺を
中心にまとまり、小規模ながらある意味で直接民主主義的自治をしていました
から。地域住民の統率のために各戸の代表者を特定するには、良いシステムだ
ったのでしょう。
囲い込み=しがらみ(柵)・きずな(絆)! これらから離れることは社会的基
盤を無くすことだった時代の名残りがかつての「檀家制度」だったようです。
しがらみ(柵)・きずな(絆)から解き放たれた私たちは、永遠の寝室を自由に
選べるようになりました。
単身けんでは、早くから1人で眠れるお墓が準備されていました。
そして今では花の木の下に眠る“樹木葬”も準備されています。当初からの会員
の片岡師が山梨県の石和温泉に近い名刹のお寺で受け入れてくださいます。
詳しくは、このHPのリンクの「瑞蓮寺」をご覧ください。
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