“ 孤独担当大臣 ” が必要ですか?

 早朝PCでニュース散策をするのが楽しみの私が、1月18日に目にしたのは、

「英国のメイ政権は17日、新たに「孤独担当相」を設置した。人口6560万人の英国には孤独を感じている人が900万人以上いるとされ、友人や親戚と1カ月以上会話していないお年寄りは約20万人と報告されている。今後、研究や統計を踏まえ、孤独をなくす政策を練る。」というもの。

 続く記事では「民間の協力も得ながら超党派で対策を進め、地域の人々を結びつける活動に資金を提供することなども検討する方針だ。メイ首相は『あまりに多く

の人たちにとって、孤独は現代における悲しい現実だ。この課題に向き合い、

お年寄り、介護者、愛する人を失った人、考えや経験を分かち合う相手がい

ない人たちが抱える孤独に対処するため行動したい』と話した。」

 

 えっ! 政策として孤独をなくす必要があるの? キリスト教の国では、

日曜日にはこぞって教会に行って礼拝の後、家族や知人たちと、会話や食事

を共にして、親睦を図っていると聞いていたので・・・

 

 「孤独」って、在ってはいけないモノなんですか? 孤独だからこそ生ま

れる思想や芸術、精神性、自律的生活スタイル、等々、文化や生活規律の中

に良いこともいっぱい生まれてきたはずなのに・・・。

 何だか “ 孤独は悪 ” と言われているようで、孤独好きの私はショック! 

まあ、私の孤独は、飽きたら誰かにコンタクトを取るくらいの程度ですが。

 

 メイ首相の「孤独は現代における悲しい現実だ」というお言葉には一部共感

も覚えますが、「絆(きずな)」や「柵(しがらみ)」の無い、自己意志に

基づく自由な生き方を選択して、実家や血縁・地縁を離れて生きてきた人たち

を沢山見てきた私は、行政の長からこのように断じられたくないという気持ち

が強いです。「自由」には「責任」が伴います。「責任」を忘れて「自由」を

選択した訳でもないのに、「孤独は悲しい現実」と言われるのは・・・

隣・近所、地域を選んで暮らすのは大変です。それらを超えて生活のユニバー

サルサービスを構築するのが国のトップの仕事なのではないのですか。

 

 日本でも「地域」「地域」と叫んでいます。嫁いできた女たちが、婚家の

血縁や地域に押しつぶされそうになって自己犠牲を強いられてきた歴史があ

ります。「絆(きずな)」や「柵(しがらみ)」に守られてきた人と、それ

を強いられてきた人の人生も併せて考えないと、と思うのは私の偏見でしょ

うか? 

人生の終盤、地域から解放されて生活する選択肢もあっていいと思うのです

が・・・

 

事務局のひとりごと 目次へ