お盆の里帰り、帰る先があるような無いような・・・ 

 東京では、お盆と言えば7月ですが、全国的には8月が「お盆」のようです。今日も里帰りや夏季旅行の人出、とりわけ交通機関の混雑ぶりがトップニュースになっています。懐かしい情景を思い浮かべながら恒例の交通渋滞ニュースを聞いています。

 

 ところでお墓参りには行かれましたか? 私は行っていません。近くにある

墓の方には春秋のお彼岸に、遠方の方はついでの際に。でも観光に行った先

のお寺では必ず故人それぞれの冥福を祈ってお燈明を上げることにしています。

たぶん墓の継承者ではないという立場がそうさせているのではないでしょうか。

 「親の墓なのだから、好きなときに行ってお参りすればいいようなものの、

墓守に無断で行くのもなんだか・・・。と言って、立ち寄ったり、予告したり

すると気を使わせそうだし・・・」という話をよく聞きます。親兄弟、親族が

一定地域に住んで、日頃から顔を合わせていた時代と異なり、地元高校を卒業

すれば、全国各地の職場や学校・大学へと旅立つことが多くなったここ半世紀、

地縁は知縁に、血縁は結縁に変わり、いつの間にか室生犀星の「ふるさとは

遠きにありて思ふもの」の詩のようになり、足が向きにくくなってきたように

思います。


 でも「お盆」を理由にすれば、会いやすくないでしょうか。一度顔を合わせ

れば、“ご無沙汰”も軽くなり、新たに世間が広がらないでしょうか。



 ふるさとは遠きにありて思ふもの

 そして悲しくうたふもの

 よしや

 うらぶれて 異土の乞食となるとても

 帰るところにあるまじや

 ひとり都のゆふぐれに

 ふるさとおもひ涙ぐむ

 そのこころもて

 遠きみやこにかへらばや

 遠きみやこにかへらばや  (室生犀星 「小景異情」その二)



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