あの日、東京の自宅でいつものように早起きして新聞を読んでいた私は、強振ではないもののいつもと違った揺れを感じ、テレビの地震速報を視るためにスイッチを入れました。第一報は大した地震ではないような報告だったのですが、そう言いつつ情報が入ってこないというものだったと記憶しています。なぜか気になってずっとテレビを点けっ放しにしていました。9時ごろになつてだんだんと信じられないような情報が入るようになってきて、関西にいる知人に電話を掛けたり、そのまた知人に電話を掛けたりしたのを思い出します。
私の知人に死者は出ませんでした。しかし、大怪我をした人、住まいを無くした
人は沢山出ました。2,3日するとそれぞれがとりあえず身を寄せるところを見つけ、
仮住まいをはじめたと連絡をしてくれました。
35年前、私が東京に移住したとき、関西の知人たちは、「東京って近々大地震
が来るんでしょ。心配やねぇ。気ぃつけてね」と言ってくれました。関西では大地震
は起きないものと信じていた知人たち、全くの想定外だったはずでしたから、どんな
に呆然とし、戸惑い、今なすべき行動に考えが行き辛かったか、想像すらできません。
あれから20年、私には35年前の転居時とはまったく違った被災時対応策と覚悟、
防災対策ができています。これらができたのは、貴重な体験をできるだけ明らかに
表に出してくださったからです。そして20年という長い準備時間があったからです。
感謝しています。
そして及ばずながらそれらの対策を発信させていただいたり、各自が編み出した
対策を共有させていただいたりしています。
天災からは逃げられても、避けられないかもしれません。しかし、減じることはでき
るようです。「1.17」という大災害を忘れないだけでなく、未来への伝言として、人間
関係も含めてもう一度身辺の点検をしたいと思っています。
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