毎朝の都立公園でのウォーキング。夏休みの子供たちの姿も見られて楽しいですね。その中には、昔懐かしい虫取り網持参の子供もいて、思わず頬が緩みます。
ミーンミーンジーの鳴き声の中、ツクツクボウシの声が混じっているのに気が付きました。旧盆を過ぎると「秋」なのですね。顔見知りと行き交いながらそんな会話を交わしました。と同時に、「朝は少し涼しくなりましたね」という言葉も。
去年に続き今年も「熱中症」の脅しを高齢者は受けてきました。もちろん学童や生徒、学生も注意喚起を受けていましたが、
高齢者には「あなたたちは鈍いのだから、咽喉の渇きや暑さを感じ
なくても水を飲んだり、クーラーを付けたりしなさい」と。67歳の
私は傷つきました。でも反抗しても仕方がないので、こまめに水分
補給をしましたし、一日中27℃設定の自室で過ごしました。お蔭様
で元気です。でも気が付いたら2,3日誰とも逢わない、会話しな
い日がありました。これでは熱中症になって自室で大往生していて
も、孤独死扱いされていたことでしょう。
ツクツクボウシが鳴きはじめたので、朝夕は少し外出を考えたい
と思っています。でも何のために外出するのか、と考えたら別に
理由はありません。
パソコンに届くメールの返信が遅い方が、友は心配してくれるの
ではないでしょうか。地域に親しい人がいない身には、外出して姿
をご近所に晒す必要はないようにも思うのですが、マスコミを含め、
「ご近所ご近所」と囃し立てています。どうしてもご近所さんとの
会話は必要でしょうか・・・
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ぷらぷら女子 (水曜日, 26 9月 2012 21:31)
理由がなくても外出・会話することも大事ではないでしょうか。
主婦の井戸端会議など、理由も目的もないけど、学生時代のガールズトークの延長のようなもの。意外とそこでアイデンティティも生まれ、自分の存在価値も認識でき、そういうことができる人を羨ましいとも感じます。
今は近所の人と話すことはほとんどないけど、定年を過ぎ、通勤手当もなくなれば、近所の人とコミュニケーションをとる予定です。
同じマンションの人の行方不明とか変死とか、数日後に分かったらショックだから、自分もそのようなショックを与えたくない、という意味で近所も大事と、これを書きながら思いました。
近所でなくても、受媛力のために、会話できる人は確保したいですね。
石川由紀 (金曜日, 28 9月 2012 08:39)
理由がなくても外出する方がいいですよね。
私は理由を付けて出ていかないのですから、生活不活発性症候群(?)予備軍です。
自分が生活を見られたくないという気があるものだから、人もそうだと思ってしまって、軽い挨拶以外は言葉を交わさないのですが・・・
我が家の前の道は、車が通るばかりです。みんなどうしているのでしょうか、と思っています。
今年初めて区の補助事業の大学主催の文学講座に出ましたが、会話を交わすことはなかったですねぇ。
趣味もないし・・・
引き続き考えます。