アジサイが日々鮮やかさを増し、気が付けばクチナシの香りが漂い、いつの間にか梅雨に入っていました。出不精の私は引きこもりに入ります。
昔は雨降りの日もポストまでは出ていきました。しかし今はパソコンのメールで用が足ります。食料の備蓄も一週間以上心配しなくてもいい程あります。となれば、定職のない私は外出の必要がなく、点けっ放しのテレビとパソコンを相手に日が過ぎていきます。
テレビからは、3.11の被災地のひとり暮らしの高齢者が孤立する
のを防ぐ活動が流れてきています。ご近所カフェを開き、コミュニ
ティの団欒と結束を促し、うつ病の発症を防ぐ目的と言います。
都市部の高齢者にはこのようなサービスはほとんどありません。
高齢者の多い大団地のいくつかでの試みはあるようですが。
なぜ被災地では、このような企画が重要サービスになるのかと考
えたら、心のありどころの違いではないかということになりました。
つまり想像を絶する喪失感です。頼り切っていた「結」社会が一瞬に
して消えたばかりか、風景さえも一変してしまったのですから、当然
だと思います。
1人ひとりの個人史の中では、受け入れがたい事態が起こることも
あるでしょう。しかし、周りの人間関係や景色は昨日のままだと思い
ます。だからそこから立ち上がれるのではないでしょうか。しかし、
大災害に遭遇した方たちは根こそぎ無くなってしまっているのですか
ら・・・
私はひきこもり生活でも平気と今は思っています。これは多分いつ
でも出ていける、社会参加ができるという条件があるからなのでしょう。
ひとり暮らしを楽しむためには、自分の意思で参加したり、参加しなか
ったりできる条件整備が必要なのではないかと思っています。
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RW (土曜日, 30 6月 2012 23:14)
3.11の被災地ではコミュニティー作りが取り組まれています。激甚災害だからこそ、支援をしやすいし、必要性が高いと思います。地域社会との結びつきは都市部とは、比較になりません。目に見えて、傷が深まるのは想像できます。例えれば、すぐに治療を開始しないと、確実に孤立症が重症化する人たち。
それに比べて、都市部の高齢者は慢性的な生活孤独病が徐々に進行しているように思われます。田舎に比べれば、人間関係も希薄なので孤独には強いでしょう。パソコンや近所の集いの場でも、つながりは出来ます。ですが、出かける場所や人間関係がいつまで保てるのか? 不安になります。
歳を重ねれば、自分の健康状態も変わります。仲間の輪が欠けていく頃からが、正念場だと思います。気が付いたら、引きこもりから冬眠になっているかも知れません。
時々起こしてくれる関わりを作らないと、危険だと思います。
ヤブコウジ (金曜日, 06 7月 2012 09:55)
RWさんのご指摘、引きこもりから冬眠に、にはどきりとしました。冬眠状態になれば異常に気が付かないですからねえ。自分は良くっても、周囲の人にとっては迷惑かも。それも許しがたい迷惑な状態になっているかも。
ものぐさでも許されるのは自立している時だけでしょうか。こまめに他者と関わり合いを持つよう心掛けることにしましょう。