東日本大震災から1年が経ちます。この1年毎日、テレビ・新聞等から現状が刻々と伝えられ、伝え聞くだけの私は理解しないままに、出来ないままに日を送ってきました。何もできない私は情けない存在だと思っています。
しかし、私の方は数々の教示を受けました。今度このようなことが自分の身に起こったらと想像し、対処法を考えながらの1年でした。
自宅マンションにいるときに起こったら、大地震の前には必ずある
という初期動で、退避用ドアを開ける。次の本震では素早く私は構造
のしっかりした柱の近くに置いたテーブルの下にまず入って動かない。
引き続き大きな揺れがあるようだと火事に備えて避難用品を揃えて待
機する。
このようなことを友人に話したら、建物は潰れないの? と訊かれ
ました。耐震基準からいうと潰れないと思っています。もしも下敷き
になるようなことがあったら、運命として受け入れることにしていま
す。家具の転倒は心配なので、いつも座っている部屋には倒れそうな
家具は置いておらず、寝室に家具はありません。
以後は様子見をしながら、情報収集です。電源さえ無事であれば、
たぶん耐えていけると思っています。しかし無事であれば無事だと伝
えたい人はいます。またじっとしていれば次から次へと気になる人が
想い浮かんで電話をかけまくったり、メールを打ちまくったりするこ
とでしょう。こんな人がいっぱいになればきっと電話回線がパンクし
て、本当に必要な人が使えなくなることでしょう。
この1年、絆が大切だと言われ続けて来ました。私は「絆」って何
かと考え続けてきました。「絆」と辞書を引くと、「繋ぎ縛ること」
とありました。「絆」の中に排他的な雰囲気を感じて好きになれませ
んでした。しかしこの私が気になる人たちこそが「私の絆」と言える
人たちなのでしょうか。それなら少し好きになりました。
でも大災害のときは「絆」で行動するのではなく、「絆」を感じら
れない人たちとも協働共存していく必要があると思います。その上で
「絆」を感じる人たちがいることに感謝して、心強く生きていたいと
思うこの頃です。
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